2007/10/20(土)Re: らばQ:著作権はいったい誰を幸せにするのか?

らばQ:著作権はいったい誰を幸せにするのか?というエントリについて。
残念ながらこのエントリは全体的に事実誤認と不足した知識で構成されていて、何の問題提起にもなっていない。
「暴論」というのは暴論なりに筋が通っているものだけど、このエントリは暴論にもたどり着いていない。

なのに、[hateb:list:labaq.com/archives/50792473.html:はてブで120人近くがブックマークしていて]、しかも結構多くの人が「参考になる」とか書いているのだけど、そういうのを見ると虚しくなるね...。(所詮はてブ住民のリテラシなんてそんなもの、と、レッテルを貼ってみるテスト)

気になった点をいくつか

・著作人格権と著作隣接権が区別できていない
そもそも著作権とはどうやって生まれたのでしょうか?
著作権の成り立ち云々はともかく、現在の日本の著作権を語るならこれぐらいはちゃんと区別しましょう。

・金銭感覚の欠如
ライブやコンサートで得られる収益
:
宣伝費 500,000 円
50万円でどんな宣伝をしろと?
すでに十分有名なアーティストなら、ファンクラブの会報に載せればそれだけで2000人ぐらい集まると思うけど、CDも発売していないアーティストがどうやって2000人も人集めるの?しかもチケットで6000円とか7000円とか取ろうとしてるんだよ?
※この文脈は「CDなんか発売しなくてもライブで収益上げればいいじゃない」という話なので。しかも「音楽出版社なんか要らない」という話なので、当然このアーティストは自力で2000人の人間を集めなければならないのです

あと、物販の経費を計上している割には売り上げ(純利ね)を計上していないのも変だ。どういう基準で経費と収入を計算したんだか良くわからん。
とすると1回のコンサートで100万円や200万円の利益を出す事はそう難しいことではない。年間5~6本でも食べて行ける数字ということになります。
アーティストが一人でライブを開けると思ったら大間違いだ。すでに経費にあげてある会場関係者やイベントプロモーターは除外しても、普段からアーティストの活動に関わっているスタッフもいるんだぞ...この儲けを何人で山分けするつもりだ?


・音楽に対する無知
そう考えてみると、作曲への直接の報酬(印税等)は無くても問題無いのではないか、むしろ無い方が音楽市場にとって健全な結果をもたらすのではないか。そう思えてなりません。
文脈では「作曲家は自分で演奏して(ライブを開催して)稼げばいいじゃない」ということなんだけど、それって作曲専業の人間を否定してない?彼らはアーティストじゃないと言ってる事になるけど。
「音楽」の本質が五線譜のオタマジャクシにあるのか、それとも「音」にあるのか、もう一度考えなおす必要があるのではないでしょうか。
「音」をどのように鳴らすかを規定したのが音楽であり、「楽譜」はその表記方法だよね。「楽譜」は本質ではないと思うけど、「楽譜が示す音の鳴らし方」は本質じゃないの?


・オープンソースに対する無知
コンピュータの世界では「オープンソース」というビジネスモデルが前世紀末に提唱され、プログラムの著作権を積極的に保護するのではなく、むしろそれは無料で配布し、そのプログラムを利用したサービスを売る事で利益をあげるという動きが活溌になっています。
オープンソースはビジネスモデルじゃない。オープンソースをビジネスにする手法はオープンソース(ムーブメント)そのものとは関係ない。
オープンソースは「著作権を保護しない」のではない。多くの「オープンソース」プロダクトは、「オープンソースであること」を守るために著作権を活用している。


・「著作」って何かわかってる?
法文なので少々難解ですが、16条を見ると作画監督は著作者として認められてるはずなのです。しかし「前条の規定」、つまり15条で「法人の発意に基づきその法人等の業務に従事する者」という除外条件が書かれています。
「業務」というのはあくまで雇用者の指示に従って作業を行うものですから、それは指示をした人格が権利と責任を負います。極端な話、作業者は「言われるがままに手を動かしていただけ」ということになり、そこに創作的な要素は存在しません。被雇用者はその対価として賃金を受け取っています。なので、業務上の制作物は指示をした人格(たとえば法人)のものになります。
対価たる賃金があまりにも低すぎるというのは憂慮すべき事態ですが、そのことと著作権は何の関係もありません。
一方第16条は、そういった「業務上の著作物」においても、特に創作的要素がある作業者については、直接の作業者にも著作権が発生する可能性があることを示しているわけです。

・「引用」とは
確かに厳密に著作権法を適用すれば、当時のウェブ魚拓では「コピー」となり、著作権を侵害する事にもなるでしょう。しかし「魚拓を取る」にはそれなりの理由があるわけです。
引用というのは、引用主体が自説を補強するために他人の著作の一部分を併記することです。さらに、「引用対象」じゃ「引用主体の自説」より少なくなるのが一般的でしょう。しかし「Web魚拓」は「引用対象」のみが単体で存在しているので、これを引用と強弁するのは難しいでしょう。
そのために「証拠」として第三者によるひかえを取っておく。それがそんなに悪いことでしょうか?
はい。証拠を取るなら自分で保管してください。
第一その「第三者」がひかえを改竄しない保障って誰がしてくれるの?
それを「著作権侵害」の名の元に糾弾するということは、「公開した記事を都合が悪くなったら引っ込めたり改竄したする」ことを法律で保証してしまってるようなものではないでしょうか。
著作者が自己都合で「公表した記事を引っ込めたり改竄したりする」のは正当な権利です。何か問題でもある?(引っ込めたことがばれてばつが悪い、というのは権利とは何の関係もない)

・YouTubeも
ではなぜアップロードされるのか。

その理由のひとつに「引用」があります。引用のためのコピーは著作権法によって認められており、Wikipediaの引用の項に詳しく書いてあります。
そのWikipediaの項目にも書いてあるけど、ちゃんと「引用」しましょう。「引用対象」が単体で存在しているのは引用ではありません。

・Windows使ってるよね?
たとえばコンピュータのプログラムは、著作権によって保護されています。ですが、「印税でゆたかに暮らしてるプログラマー」などついぞ聞いたことがありません。
ビル・ゲイツ

・根拠が必要
そもそも著作権は本当に必要なのでしょうか?
大きな問題はコピー品を安く売られることだけではないのでしょうか?
それは著作権という大きな弊害のある法律でなければ取り締まれないのでしょうか?
印税など、書籍やCDの販売数におうじた報酬でしかありません。歩合契約ではいけないのでしょうか?
「著作物の利用」といった、実態を掴む事の難しいものからお金を取る事に、どれほどの意味があるのでしょう。
「コピー品の取り締まり」「書籍やCDの販売数に応じた報酬」それら根拠として著作権が存在します。根拠が無いのに何かを要求することは出来ません。
著作権というのはここでは著作人格権と著作隣接権に分類された各種の複合した権利ですが、その個々の権利について議論を行うことは良いことだと思いますが、「権利が不要」ということとは違います。

2007/09/30(日)Dan氏が間違っている三つの箇所 - その2

ニコニ考 - 給料より安い制作費への反論(その2)

その1はこちら

■ニコ動が1000万IDになっても商品は売れない
これも大きな誤解、あるいはわかっててやってるミスリード。
さよなら絶望先生、新作DVDが過去最高の注文数の件。 by 店長 (ニコニコ市場(β) ブログ)
いよいよニコニコにゆかり(?)のある、「絶望先生」のDVD「さよなら絶望先生 特装版1」が9/26に発売になるわけですが、昨日現在でDVD注文数、811個ということで記録を作りました。
たった300万IDでこれである。これがmixiなみの1000万になっただけで、もう元が取れるのではないか。
Dan氏はこのように述べているが、本当にニコ動が1000万IDになったら売り上げも比例して伸びるのだろうか?
ニコ動に参加している人自信が気づいているとは思うが、現在のニコ動のユーザ層はアニメ(おたく)関連の嗜好の人間が非常に多い。反対に、アニメDVDにお金を出して買うような層のかなりの部分がニコ動に参加しているということも考えられる。
もちろん「ニコ動のIDとったら負けかなと思ってる団」とかいう人々もいるわけで、全てがそうであるというつもりは無いが。

ここでニコ動が更なる量的拡大に成功したとして、新たに参加してくる700万のユーザはどんな嗜好を持っているだろうか。mixiでもなんでもそうだが、フォロワー層はアーリーアダプタ層に比べて圧倒的に「薄い」。アニメのDVDを買うような「濃い」層はすでにニコ動に参加しているのだ。これからやってくる人間に「800人/300万人」のような高い購買率を期待できるはずが無い。
つまりニコ動が大きくなっても、その規模の拡大ほどには商品の売れ行きは増えないのだ。


さらに別の考察を。
現在アニメDVDはさまざまなチャネルで販売されている。アニメイトのような専門店からamazonのようなネット通販まで。
当たり前のことだが、ニコ動での売り上げが増えたとしても、他のチャネルでの売り上げが減少すれば、結局アニメの制作委員会が手にする売り上げは変わらない。
先ほどの予測が外れ、ニコ動でのアニメDVDの売り上げが伸び続けたとしても、それは本当に「作品全体の売れ行きが伸びる」のだろうか?単に購買チャネルが移動したというだけではないのだろうか?


もうひとつDan氏の記事には数字のトリックがある。
考えても見て欲しい。絶望先生クラスであれば、現状ですら一話につき10万回は視聴される。
ここ、あくまで「10万回」であって、「10万人」ではないのだ。
ニコ動をちょと使ってみればわかるが、自分でコメントを書いたりしていると、一人で同じ動画を複数回再生することなんかは珍しくない。最初にざっくりと全編を見て、その後コメントをつけるところを探しながらもう一度見る、そんな行動が容易に想像できる。
仮に一人が平均2回再生していたとすると、それだけで「視聴者数」は半分になってしまう。当然一人が複数回試聴したとしても、課金は「一回」なので、それだけで収入半分だ。
ニコ動の中でもトップクラスの再生数を誇るらしい絶望先生でも、制作費の半分も回収できないのである。

2007/09/28(金)Dan氏が間違っている三つの箇所 - その1

ニコニ考 - 給料より安い制作費への反論

すげー長くなったので分割。もしかしたら途中でやる気なくなって続かないかも。

※追記: 続きは以下のところ
Dan氏が間違っている三つの箇所 - その2


■アニメ制作のビジネスモデルの違い
これは本筋ではないのだが、結構な誤解なので指摘しておきたい。
Dan氏はたけくま氏が発見した資料を持って現在の深夜アニメの状況を語ろうとしている。しかし、これは大きな誤解があると思われる。

確かに経産省の資料は公式文書だが、これはあくまで「例」でしかない。
特に深夜アニメはこの資料と大きく異なる形態で制作されていることが多い。
たとえば、最近の深夜アニメは大抵「○○制作委員会」という団体がクレジットされているが、経産省の資料にはそれに該当するものが見当たらない。このあたりで違和感を感じてもらえると思う。

これは、アニメの制作のビジネスモデルが「ハウス食品名作劇場」のような「企業広告型」、それから最近の深夜アニメに代表される「単独回収型」で相当異なっているからだ。

まず、「企業広告型だが」、これは主に広告代理店・TV局が主導で制作されることが多い。
この場合の資金の流れが例の経産省の資料に書かれているものだろう。
これはアニメ業界と関係の無いスポンサー企業が自社のイメージ向上のために制作しているものである。スポンサー企業としては金銭的なリターンは求めていない。広告効果が得られればそれで良いのだ。
なので「版権ビジネス」はおまけでしかない。DVDの販売も同様。


一方現在の深夜アニメの主流である「単独回収型」は、アニメ制作それ自身で回収を目論んでおり、「版権ビジネス」が主たるものになっている。
この「単独回収型」の場合どのような流れになるのかを図にしてみた。
anime.gif

ここではわかりやすくするために各々の「立場」をばらばらにして書いているが、実際にはひとつの会社が複数の立場を兼任している。たとえばある会社が制作委員会に出資しながらDVDの販売をしたりするのも当たり前だし、有力なアニメスタジオが制作委員会に出資していたりするのも良く見かける。
このモデルの特徴は、資金がスポンサーから一方的に流れ込んでくるのではなく、関連する各社が金銭的リターンを求めながら資金を「投資」していることにある。
では金銭的リターンを得るためにはどのような手段が取れるか。当然現金収入が必要なので、DVDなり関連グッズなりを販売する「版権ビジネス」が主要な目的になってくる。
(DVDは最も単価の高い「グッズ」であるので、自然ビジネスの中心となる)

このように、経産省の資料に書かれたモデルと、深夜アニメのモデルはまったく異なる。

※この手の話は「小麦ちゃんマジカルて」のDVD特典で紹介されていたはず。


続くかもしれないし、続かないかも。

2007/08/26(日)広告が増えてますが

最近本業が広告ビジネスなので、実験がてら。
amazonが自動的に商品を選んでくれるみたいだけど、どの程度使い物になるか実験。
書評(感想)もamazonアソシエイトへのリンクになってますが、これはもともと表紙の画像が使いたかったからという理由だったんだよね。