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そもそも著作権とはどうやって生まれたのでしょうか?著作権の成り立ち云々はともかく、現在の日本の著作権を語るならこれぐらいはちゃんと区別しましょう。
ライブやコンサートで得られる収益50万円でどんな宣伝をしろと?
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宣伝費 500,000 円
とすると1回のコンサートで100万円や200万円の利益を出す事はそう難しいことではない。年間5~6本でも食べて行ける数字ということになります。アーティストが一人でライブを開けると思ったら大間違いだ。すでに経費にあげてある会場関係者やイベントプロモーターは除外しても、普段からアーティストの活動に関わっているスタッフもいるんだぞ...この儲けを何人で山分けするつもりだ?
そう考えてみると、作曲への直接の報酬(印税等)は無くても問題無いのではないか、むしろ無い方が音楽市場にとって健全な結果をもたらすのではないか。そう思えてなりません。文脈では「作曲家は自分で演奏して(ライブを開催して)稼げばいいじゃない」ということなんだけど、それって作曲専業の人間を否定してない?彼らはアーティストじゃないと言ってる事になるけど。
「音楽」の本質が五線譜のオタマジャクシにあるのか、それとも「音」にあるのか、もう一度考えなおす必要があるのではないでしょうか。「音」をどのように鳴らすかを規定したのが音楽であり、「楽譜」はその表記方法だよね。「楽譜」は本質ではないと思うけど、「楽譜が示す音の鳴らし方」は本質じゃないの?
コンピュータの世界では「オープンソース」というビジネスモデルが前世紀末に提唱され、プログラムの著作権を積極的に保護するのではなく、むしろそれは無料で配布し、そのプログラムを利用したサービスを売る事で利益をあげるという動きが活溌になっています。オープンソースはビジネスモデルじゃない。オープンソースをビジネスにする手法はオープンソース(ムーブメント)そのものとは関係ない。
法文なので少々難解ですが、16条を見ると作画監督は著作者として認められてるはずなのです。しかし「前条の規定」、つまり15条で「法人の発意に基づきその法人等の業務に従事する者」という除外条件が書かれています。「業務」というのはあくまで雇用者の指示に従って作業を行うものですから、それは指示をした人格が権利と責任を負います。極端な話、作業者は「言われるがままに手を動かしていただけ」ということになり、そこに創作的な要素は存在しません。被雇用者はその対価として賃金を受け取っています。なので、業務上の制作物は指示をした人格(たとえば法人)のものになります。
確かに厳密に著作権法を適用すれば、当時のウェブ魚拓では「コピー」となり、著作権を侵害する事にもなるでしょう。しかし「魚拓を取る」にはそれなりの理由があるわけです。引用というのは、引用主体が自説を補強するために他人の著作の一部分を併記することです。さらに、「引用対象」じゃ「引用主体の自説」より少なくなるのが一般的でしょう。しかし「Web魚拓」は「引用対象」のみが単体で存在しているので、これを引用と強弁するのは難しいでしょう。
そのために「証拠」として第三者によるひかえを取っておく。それがそんなに悪いことでしょうか?はい。証拠を取るなら自分で保管してください。
それを「著作権侵害」の名の元に糾弾するということは、「公開した記事を都合が悪くなったら引っ込めたり改竄したする」ことを法律で保証してしまってるようなものではないでしょうか。著作者が自己都合で「公表した記事を引っ込めたり改竄したりする」のは正当な権利です。何か問題でもある?(引っ込めたことがばれてばつが悪い、というのは権利とは何の関係もない)
ではなぜアップロードされるのか。そのWikipediaの項目にも書いてあるけど、ちゃんと「引用」しましょう。「引用対象」が単体で存在しているのは引用ではありません。
その理由のひとつに「引用」があります。引用のためのコピーは著作権法によって認められており、Wikipediaの引用の項に詳しく書いてあります。
たとえばコンピュータのプログラムは、著作権によって保護されています。ですが、「印税でゆたかに暮らしてるプログラマー」などついぞ聞いたことがありません。ビル・ゲイツ
そもそも著作権は本当に必要なのでしょうか?「コピー品の取り締まり」「書籍やCDの販売数に応じた報酬」それら根拠として著作権が存在します。根拠が無いのに何かを要求することは出来ません。
大きな問題はコピー品を安く売られることだけではないのでしょうか?
それは著作権という大きな弊害のある法律でなければ取り締まれないのでしょうか?
印税など、書籍やCDの販売数におうじた報酬でしかありません。歩合契約ではいけないのでしょうか?
「著作物の利用」といった、実態を掴む事の難しいものからお金を取る事に、どれほどの意味があるのでしょう。